特攻隊員たちへの鎮魂歌 神坂次郎著 特別攻撃隊 この特別というのは、スペシャルといった意味ではない。隊長の権限はその隊を統率するだけで、一般の隊のように隊員への人事考課や賞罰に関する統率は一切ない。一つの隊は同じ“殉国”の念いで結ばれ、階級の差を超えた血盟の同志で隊長は隊員たちをひきいて戦い、一緒に死のうという役割だけである。それゆえの例外“特別”なのだ。 植村 真久・・・・。経済学を学んだ学徒で、立教大学サッカー部の主将。そのころ結婚。大村海軍航空隊で戦闘機訓練中に娘、素子誕生。このため植村の特攻志願は容易に許されなかった。が、植村はあきらめない。中島飛行長に懇願すること三日、ようやく許されている。植村は子煩悩で暇をみては大村空から電話して、素子の声を聞かせてくれとねだり妻の芳枝を困らせた。生後三ヶ月の素子は、思うように声を出しくはくれない。で思案をした芳枝は素子に乳をやり、そのふくませた乳房をいきなり引きはずして泣き声をあげさせたという。出撃前、そんな素子への決別の手紙と、休暇の一日、愛児を抱いた写真が植村家に残されている。 (素子 素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし又お風呂に一緒に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたいときは、お前のお母さんか佳世子叔母様に私のことを良くお聴きなさい。私の写真帳もお前の為に家に残して在ります。素子という名前は私が付けたのです。素直な心のやさしい思ひやりの深い人になるようにと思って、お父様が考へたのです。私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって幸せになるまで見届けたいのですが、もしお前に私を見知らぬままにしてしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会ひたいときは九段(靖国神社)へいらっしゃい。そして心深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。父はお前は幸せものと思ひます。他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会っている様な気がすると良く申されていた。また、お前の御祖父様御祖母は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がり下さるし、姉様も又、ご自身の全生涯をかけてただただ素子の幸せのみ念じて生きぬいて下さるのです。必ず私に万一の事あるも親無児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。先に言った如く素直な人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって、私のことを考へ始めた時に、この便りを読んでもらひなさい。昭和十九年五月吉日 植村素子へ 追伸 素子が生まれたときオモチャにしていた人形は、お父様がいただいて自分の飛行機にお守りにして乗せております。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教へて上げます。 父 素子殿) 昭和四十二年四月十二日、たそがれ迫る九段の杜、靖国神社の拝殿で、父と同じ立教大学を卒業した素子は、六歳から習っていた藤間流の名取、藤間都として文金高島田に振袖すがたで、日本舞踊を奉納している。愛する亡き父の霊を慰めるためであった。母の芳枝や親族、友人、父の戦友たちが見守るなかで素子は、琴の音にあわせて、あでやかに「桜変奏曲」を舞いおさめた。そのあとで素子は、友人たちから贈られた花束を胸に抱いて、「お父様との約束を果たせて、うれしい」と言った。その言葉に戦友たちは堪らず、みな声を噛み殺して、泣いた。 |